『旅の三重苦とは、入浴・排泄・洗濯である』 By Suanan=Habibich=Habibinskii
滞在した町の印象は、泊まった宿の善し悪しによって決まる――――と書いていたのは誰だったろう。
おおいに頷いた記憶がある。
では、泊まった宿の印象を大きく左右するものはなんだろうか。
それは、インテリアの豪華さでも、快眠ベッドの有無でも、立地の良さでも、食事の美味しさでもない。
バスルーム(シャワー)の善し悪しである。
トイレの清潔さである。 洗濯のしやすさ干しやすさである。
………少なくとも、わたしは。
日本での社会生活から抜け出して、束の間の自由を手に入れたはずの旅人に重くのしかかる“不自由”、不可避の苦行――――入浴・排泄・洗濯。
旅人は、つらいのである。
■苦行1――入浴
※安宿のバスルームについて
便器とシャワーがついているだけで、通常バスタブはない。(あってもあまり清潔でないので 使う気になれない) 洗面台はあったりなかったり。
腰より低い位置に、バケツに水を溜めるための蛇口があることが多い。
バスルームなしの部屋の場合は、共同シャワー室・共同トイレを使用。
左:比較的清潔なバスルーム。お湯も出た。 右:共同シャワー室。水シャワーのみ。
【水量と水圧と水浴び】
1.
ブロードバンドの宣伝だったと思うが、以前こういうCMがあった。
男性がシャワーを浴びていると、隣のシャワー室に誰かが入る。
すると、シャワーの水が出なくなる。
まさに同じ目にあったことがある。
ジャカルタの某安宿、共同シャワー室でのことだ。
隣りへ入った人物は、どうやらシャワー室で洗濯をしているらしかった。 ジャバジャバと水を流し始めた途端、わたしのシャワーはぴたりと水を止めた。
一滴たりとも出やしない。
ざけんなよ、このクソ宿め!
隣人は鼻唄なんぞ歌いながら、悠長に洗濯を続けている。
頭からつま先まで泡にまみれたまま憤然と立ち尽くす人間が隣にいることなど、想像だにしないのだ。
しかし彼に責任はない。
この宿でまともに洗濯ができるのは、ここ以外にないことを私も知っている。
まだか……まだ終わらないのかちくしょーめ!
全身を包んだ泡が少しずつ弾けて消えていく。
やがて、わたしは泡さえ纏わぬ赤裸々な姿となった。
なにもすることなく、全裸で長時間ひたすら立ち尽くすことが、はたして人生に何度あるだろうか……人生に何度……。
そう思い至った瞬間、心のなかの雷雲は流れ、清らかな陽光がすうっと射し込んだ。
世界がひらけ、澄んでいく……。
……すばらしい! なんて貴重な体験なのだ!
苦行は悟りを開かせる。
お釈迦さまの言うとおりだ。
初めから出ないのではなく、出ていた水が出なくなる。
旅人はそれを怖れる。
しかも、わりとありがちだったりするから困る。
水不足でそうなるならば、まあ仕方がない。(腹は立つが)
しかし、たんに屋上のタンクへ水を入れ忘れていただけ、ということもある。
宿の怠慢におおいに振り回され、憤慨し、落胆し、疲労するのだ。
←清潔だったが、タンクへの給水を怠り、水が出ないことがあった。
2.
シャワーは曲者だ。
充分な水量や水圧がなければ、浴室の飾りと成り果てる。
宿泊先ではじめて入浴する際は少々緊張してしまう。
ドバーッと出れば「キタ――――ッ」となるが、チョロチョロだと「ショボ―――ン」である。
水量のないシャワーを浴びるくらいなら、バケツにでも溜めて手桶で水浴びをしたほうが10倍早い。
アジアの安宿の多くは、バスルームにお尻洗い・便器流し用のバケツと手桶が付いている。
そもそもシャワーがなく、作り付けの水槽に水を溜めて、水浴びとトイレ両方に使用するバスルームもある。
トイレ用のバケツ……?
――――と、気になるのなら好きなだけ洗えばいい。
そんなこともあろうかと、わたしはスポンジを持って旅している。
なんで客がこんなことを――――? もちろん、そう思いながら。
水圧は充分あるのに、シャワーヘッドから流れる水がほんの数筋しかないことがある。ヘッドの穴に水垢などゴミが溜まっているのだ。
そんなときは楊枝でつついて掃除してみよう、きっと快適なシャワーに生まれ変わるはずである。
ちなみに、楊枝は機内食に付いて...(以下略
なんで客がこんなことを――――? だからもちろん、そう思いながらだ。
【水しか出ない】
暑い地域で、もともと水しか出ないシャワーなら、なにも問題はない。
それなりに寒い地域にも拘わらず、もともと水しか出ないという場合も、さほど問題ではない。
陽の出ているうちに我慢して浴びるか、もうはじめから入浴なんて諦めてしまえばいい。寒いのだから汗はかかないし、頭がかゆくなったら頭だけ水で洗えばいいのだ。
ゆゆしき問題は、お湯が出るはずなのに水しか出ないことである。
こちらはもう期待しちゃっているのだ。
熱いシャワーを浴びて、心身ともにリフレッシュすることを。
なのに――――水しか出ない……だと?
イライラしながらレセプションに向かい、お湯が出ないと訴えると、「5分流すと出てくるはず」と返された。
しかし5分待っても10分待っても出やしない。
大きな期待はより大きな失望にかわり、わたしを辟易させる。
もう……いい……時間の無駄だ。
ホットシャワーには何度裏切られたか分からない。
ネパールの安宿のようにソーラーシステムである場合、天気の悪い日にはお湯は出ない。これはもう天気を見れば一目瞭然なので、無用な期待をしてしまう心配がないだけいい。
いまのいままでお湯が出ていたのに、急に水になる――――これもありがちだ。
ボイラーの調子がおかしいのだろうか。
また、電気湯沸かし器の場合は使いすぎるとお湯がなくなり、ぬるくなることがある。
一番やっかいなのがこの、お湯が水になってしまう現象なのだ。
石鹸を流す前に水になったら最悪だ。
水になるのはいつだ? いつなんだっ!!
怖れ、おびえながら、旅人は慌ただしくシャワーを浴びる。
リラックスなどという言葉はない。 逆にひどく疲れてしまう。
←気分が萎える「萎え宿」の萎えバスルーム。
【熱湯しか出ない】
水を混ぜながら適温にできればいいが、いちどシリアの宿で熱湯しか出なくなったことがある。 はじめは適温だったのだ。
例によって泡まみれの状態で、水だけが出なくなった。
これは困った、熱すぎてまともに浴びるのは不可能だ。
わたしは両手の人差し指で側頭部をくるくると撫で、一休さんのごとくトンチを働かせた。
さいわい、共同シャワーではなくバスルーム付の部屋だった。
寒いのを我慢して部屋へ戻る。
そして、ミネラルウォーターの空きペットボトルをふたつ抱えて再度バスルームへ。
まずは右手のボトルに熱湯を注ぎ、それをできるだけ遠くから左手のボトルへ注ぎ込む。
空気にさらし冷ますためである。
何度か繰り返すと適温になった。
我ながら素晴らしい思いつきだと感心してしまった。
不自由がこんなにもひとを賢くさせるとは。
同時に、そんな自分に呆れもしたけれど。
上記の手順をひたすら繰り返し、無事、入浴は終了した。
たいへん時間がかかり風呂上がりなのに身体は冷え切っていた。
冬のシリアのはなしである、風邪をひいたのは言うまでもない。
旅を続けるうちに、ひとつだけ真理を見つけた。
「寒冷地では入浴など初めから考えない」
迷いを捨て去ると真理に到達する。
お釈迦さまの言うとおりだ。
【その他、浴室の不自由乱れ書き】
狭い......暗い......掃除が行き届いていない......タオルや脱いだ服を置いておく場所がない
水はけが悪い(排水溝が床の一番低い位置にない)......すきま風が入り寒い...etc
以上のことを気にかけながら、見知らぬ土地で(可能なら)毎日入浴する。
ときに安楽の吐息を漏らし、ときに怒り狂い宿を呪詛しつつ。
いちいち心乱される未熟な自分にとって、それは旅の苦しみでしかない。
入浴は、つらいのである。
■苦行2――排泄
※アジアのしゃがみ式便器について
おおむね水洗の和式便器と同じだが、金隠しはなく、穴のある方が後ろになる。
水洗レバーを押すと流れるものもあるが、たいていはバケツなどを使って手動で流す。
排泄後はトイレットペーパーを使わずに、手桶や水差しの水を使用して左手でお尻を洗う。
もしくはお尻洗浄用のホースが付いている。
トレペは流すと詰まるので、使用した場合はクズカゴに入れることになる。
左:しゃがみ式の一例。(貯水タンク付き) 右:壁にかかっているのが、お尻洗浄ホース。
【憎き洋式便器】
以前から何度も書いているが、アジアの旅において洋式便器ほどいやなものはない。
なぜあんなものをこぞって設置しているのか理解に苦しむいますぐ撤去してほしい――――と、つい鼻息が荒くなってしまうほどだ。
もちろん、わたしだって自宅のトイレは洋式がいいし、日本のデパートのトイレに入るときも洋式を選ぶ。(最近、和式をあまり見かけなくなった…)
それでも、断固しゃがみ式を支持したい。
「しゃがみ式、ジンダバード!(万歳!) 洋式便器を駆逐しろ!」
1.
洋式便器の場合、水洗レバーを押しても、ろくに流れないことが多い。
揃いも揃って水洗装置がイカレているのはどうしてなのか教えてほしい。
しかし、これについてはそれほど問題にはならない。
「入浴」の項にも書いたとおり、便器の脇にはバケツと、バケツに水を溜めるための蛇口がついている。
バケツの水で流してしまえばいいのだ。
貯水タンクはつけずに洋式便器だけを設置して、はじめからバケツで流すようにしているトイレもある。
経費を節約するためだろう。
水洗装置など付けても、どうせすぐに壊れてそのまま放置するのだから、それでいいじゃないかとわたしは思う。
ただ、バケツの水を使う場合、しゃがみ式のほうがブツが流れやすい。
バケツで流すことを考慮しても、しゃがみ式に軍配が上がる。
では、洋式便器のなにがいやなのか。
お察しの通り、それは便座とお尻がじかに触れるという一点にほぼ集約される。
掃除・メンテが行き届いているなら、洋式でもいいのだ。
いや、むしろ洋式がいい。
なのに、アジアの洋式便器ときたら――――
@便座が汚い。
う○こがついていることすらある
A便器と便座のサイズが違う
(便座のほうがずっと小さい。
座ると腿裏が便器に触れてしまい気分が悪い)
B水でお尻を洗う関係で、たいていは便座が濡れている
C便座が欠けている。
ひどい場合は座るのがままならない
D便座がきちんと固定されていない。
すぐに外れたりズレたりする
Eなぜか便座がない
多くは、上記のどれかに当てはまる。
あるいは複数当てはまる。
どうしても解せないのがEだった。
便座のない洋式便器で、どうやって「大」をすればいいのだろう、いったい便座はどこへいってしまったのか? とくに東南アジアでは便座なしがあまりに多いので、便座を狙う窃盗団でもいるのかと疑ったほどだ。(ぇ
これについてはフィリピン人からこんな回答を得られた。
なにかの理由で腰かけたくない人々が、便座の上にしゃがんで用を足したりするのだそうだ。
便座は負荷に耐えきれず、すぐに破損してしまう。 壊れて取り外されても、以後そのまんま。
なるほど、そういう事情ならCもDも納得できる。
すぐに壊れてしまうので、はじめから便座を取り付けないこともあるらしい。
単純に、乱暴な上げ下げのために破損することもあるだろう。
壊れても修理しないのが問題だ。
こんなはなしを聞いてしまうと、さらに思いを強くしてしまう。
じゃあ、もう、いいじゃん、洋式なんか――――と。
←しゃがみ式の一例。バケツの水で流す。この宿も萎えた。
2.
洋式便器といえば忘れられない思い出がある。
ドバイでのことだ。
物価の高いドバイとしては安く、なかなか清潔なビジネスホテルだった。
バスルームは共同だが、部屋同様に掃除が行き届いていた。
さすがはドバイ、ホットシャワーもじゃんじゃん出て、わたしは至極ご満悦だった。
バスタブの横の設置された洋式便器は、珍しくレバーでの水洗が完璧、上記@からEのどれにも当てはまらないという優秀さだ。
ちなみにバケツと手桶はなく、お尻洗浄用ホースがついていた。
排泄の苦行から一時的とはいえ解放された! わたしは双手を挙げて喜んだ。
けれど、すぐあることに気が付いた。
便器前の床に排水溝があったのだが、そこになにか指先ほどの茶色い破片が落ちているのだ。
顔を近づけて、よーくよーく見てみると――――
う○こ
である。
なんで!!!
思わずそう叫んだ。
よく分からないが、気持ち悪いので水をかけて流してあげた。
しかし、数時間後にトイレへ行くとまたしても排水溝に、
う○こ
(^o^)/
である。
だから、なんで???
推測するに、洋式便器を使い慣れない宿泊客がいたのだと思う。
腰かけたままお尻を洗うことが難しかったのではないだろうか。
試行錯誤ののち、彼(彼女)は仕方なく排水溝の上にしゃがみ、そこでお尻を洗ったのだろう。
すっきりして晴れやかな気持ちで去った彼(彼女)は気付かなかったのだ、排水溝の編み目に破片を残していることに……。
そのあとも何度か茶色い破片に遭遇した。
気持ち悪いのでそのたびに始末した。
なんで、わたしが――――!?
もう、涙目である。
←一見洋式だが、便座を上げればしゃがみ式に変身する凄い便器。
【トイレ掃除は誰がする?】
洋式・しゃがみ式、どちらであろうと、概してアジアの安宿のトイレは清潔とは言い難い。
「掃除って知ってる?」と小一時間問い詰めたいときもある。
たまに気持ちのいいトイレに出会すと、なんだか得した気分になってしまう。
わたし個人の経験による主観にすぎないが、傾向としてトイレが清潔でない国がある。
浄・不浄の観念をもつヒンズー世界は、やはりそういう傾向にあった。(個人的にはインドよりネパールの安宿のトイレの方がひどいと思う)
ネパールの小学校では子供たちにトイレ掃除をさせることはないと、なにかで読んだ。
不浄に触れさせるなどとんでもないことで、清掃人(カースト外)を雇うそうだ。
インドでも中流家庭では清掃人を雇っていると、やはりなにかで読んだ。
安宿ではどうなのか知らないが、ともかく疎かになるのだろう。
パキスタンの宿もトイレが清潔でない傾向にある。なぜなのか考えてみた。
パキスタンの女性はあまり外出をしない。
町を歩いているのはほとんどが男性だ。
この国は女性がいないのかと思ってしまうほどである。
日が暮れると、夫や兄弟などを伴って歩いているのを見かけるが、要は知らない人(男)の前にあまり姿を現さないのだ。
というわけで、不特定多数の男性に見られてしまう、ホテルの従業員などしない。
当然、掃除は男性がしていることになる。
男性は掃除ができないとか、本来女性の仕事だとか、そんなことを言うつもりは毛頭無い。
しかし、実際のところ、食材を買いに出かけること以外の家事は、自宅に籠もっている女性がしているはずで、彼らのなかには、
「なんで男の俺がトイレ掃除をせっせとしなきゃならんのだ」
という気持ちがわずかでもあるのではないだろうか。
しぶしぶやるので適当になる――――もちろん推測にすぎない。
が、イスラムでは男性と女性がはっきりと区別されているのだから、そのような気持ちが芽生えてもおかしくないのでは、とわたしは考える。
中東のイスラム国の安宿トイレも、同じような傾向にある。
パキスタンのトイレほどではないが、なんとなくトイレ掃除はないがしろにされている印象だ。
(とはいっても、パキスタンと違い、女性が町を歩いている)
この推測を確信に近づけたのは、モロッコの安宿だった。
女性の従業員は珍しくなく、恰幅の良いおばちゃんが丁寧に清掃している姿を何度も見かけた。
建物は古びていても掃除の行き届いていることが多かった。
トイレもわりあい清潔に保たれている。
また、比較的トイレがきれいだと思ったのはエジプトだ。
世界的な観光地であるため宿が多く、もしかしたら競争が激しいのかもしれない。
けれどエジプトでは、とうてい許すことのできないウォシュレットを見かけた。
←ブツが落下するちょうどその位置に管が!許せん!
ところが、上記の推測から外れてしまうのだが、イランの安宿はトイレが清潔なのである。
女性従業員を見た記憶はない。
理由はさっぱり分からない。
便器はピカピカに磨かれ、お尻洗浄ホースも壊れていたりしない。
はからずもホースからお湯が出て、「安宿なのに!」と度肝を抜かれたことすらある。
たいへん喜ばしいことに、イランでは憎き洋式便器をほとんど見かけなかった。
反米だからだろうか。(ちなみに算用数字も見かけない)
トイレに限らず、イランは町も清潔で美しかった。
イスファハンに代表されるモスクも、工芸品の数々も、目を瞠るほど美しい。
イスラムの美術を創りあげたのはペルシャ人だと言われている。
「美の国」だからトイレもきれいなのかと、無理矢理こじつけることにした。
←しきりのない公衆トイレ。手桶が見当たらない……。
今日も旅人は、狭く薄暗い個室へむかう。
黄ばむを通り越して茶色ばんでいる便器で用を足す。
とくに「大」は気が重い。
白いお尻を無防備にもまるっと出して、その不快な小部屋に長時間籠もるのだから。
汚いトイレに入るなら、野グソのほうがずっといい。
そのうち「大」をするのが億劫になってくる。
そして思うのだ。
一日に一度(?)の大便タイムは、苦行ではないのかと。
う○こはつらい。 ユーウツだ。
■苦行3――洗濯
【洗濯機のありがたみ】
昔の人はエラかった。
家族全員の汚れ物を手洗い手絞りで洗濯していたなんて。
いまや、手洗いマークのついた衣類でも洗えてしまう洗濯機や洗剤があり、手で洗うのはよほど汚れがひどい物くらいだろう。
ためしに、いま着ている衣服を下着も含めて手洗いしてみよう。
二度とやるかと思うはずである。
洗濯は本当にめんどくさい。
洗濯機を背負って旅したいくらいだ。
言うまでもないことだが、旅の荷物は軽ければ軽いほどいい。
衣類・タオルも必要最低限に抑えておくべきだ。
すると当然、こまめに洗濯する必要が生じる。
結果、旅人は洗濯に追われることになる。
「あー洗濯しないと、もう着る物ないよ〜」
「あー洗濯しないと、明日は移動日だし、いま干さないと明朝までに乾かないよ〜」
乾かなかったら、とても哀しい。
荷物が重くなってしまう。
←便器のふたが大活躍w 洋式便器、唯一の長所。
宿に洗濯スペースがあり、タライや腰かけ(高さ15センチほどの伝統的な作業椅子)などを貸してもらえたら一番楽だ。
なければ、例のお尻洗い・便器流し用のバケツを使用し洗濯をする。
(トイレが共同の場合は迷惑になる)
もしくは洗面台を利用する。
洗面台――――高級ホテルのようにピカピカならいいが、残念ながら安宿はそうはいかない。
なーんか気持ちが悪いのだ。
くわえて、たいていは水を溜めるための栓がない。
流水で一枚ずつ洗うのは面倒だし、大きなものは骨が折れる。
そこで、またもトンチを働かせてみた。
スポンジを持って旅をしていると「入浴」の項に書いたが、45リットルのビニル袋も一枚用意している。 これを使用すると、栓のない洗面台でも容易に洗濯ができるのだ。
@スポンジで洗面台をかるく洗う (気にしないなら省く)
↓
Aビニル袋を洗面台に敷く
↓
Bそこに洗濯物・洗剤を入れて水を溜める
↓
C洗う。いちど絞ってどこかへ置いておく
↓
Dビニル袋をずらしていって汚水を捨てる
↓
E再度ビニル袋を敷き、すすぎの水を溜める
え? たいしたトンチじゃない!? …………それは、あいすまぬ。
【屋外に干せる喜び】
洗濯スペースがあるような感心な安宿は、屋上や庭に干し場も用意している。
シーツの邪魔にならない程度に使わせてもらうことができる。
洗濯ヒモにぶらさがったTシャツやタオルが気持ちよさげにはためていると、こちらも気分がよくなってくる。
無意識にも口角が上がる。
しめしめ、夕方には乾いちまう。 これで明朝、心置きなく移動できる。 あばよ!
とくに干し場を用意していない宿、かつ、ベランダのない部屋の場合は、室内に洗濯ヒモを張ることになる。
しかし、取っ掛かりがなにもなければヒモは張れない。
超シンプルな部屋だとベッド以外はなにもない。
どうするか。
さっそくトンチを働かせてみた――――が、天啓は得られなかった。
うん。 あきらめよう。
洗濯ヒモを無理やり張ると、笑えない事態に陥ることがある。
安宿だからして内装が安っぽい、ちょっとばかり無理をすると、すぐに壊れてしまう。
やう゛ぁい! 壁のフック取れちゃった!
やう゛ぁい! カーテンレールがぐらぐらになっちゃった!
やう゛ぁい! 網戸はずれちゃった!
やう゛ぁい! 壁がくずれ――――――
いや、さすがにそれはない。
昔の人はエラかったと書いたが、アジアの多くの国々で、洗濯機はいまだ一般家庭に普及しているとは言えない。
タライで大量の汚れ物を洗っている女性の姿をよく見かける。
水道や井戸がなければ川で洗っている。
「お疲れさまです」と心から思う。
→小川で洗濯をする黒装束の女性たち。(イエメンにて)
だから本当は、ひとり分の手洗いごときでグダグダ言うのは、大変な甘ちゃんなのだ。
それは分かっている。
分かってはいるのだけれど。
手洗いでの洗濯はあまりにもわずらわしい。
この苦行からどうにか逃れたい、旅人は思案する。
誰も見ていないのを確認し、着用中のTシャツの匂いを嗅いでみる。
くんくん、くんくん。
…………うん。
まだ、大丈夫…………。
旅人は自分に言い聞かせるように呟いた。
昨日も一昨日もそう言った。 明日もそう言うのだろう。
苦行は許容範囲を果てしなく広げていく。
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