か わ か ぜ


〔1〕




 ひとりの子供が作文を読み終え、まばらな拍手のなか、頬を紅潮させながら席に着きました。私は偽善ともいえる笑顔をつくり、私の言葉をひたすら待ち受けているその子供に、できる限りのあたたかい言葉をかけてあげるのです。
「田中くんの夢はお医者さんだそうです。人の命を助ける素晴らしいお仕事ですね。田中くんがお医者さんになれるよう、みんな応援してあげましょう」
 子供は満足そうに微笑み、誇らしげな目つきでまわりを一瞥します。私は心のなかで小さく溜め息をつきました。
 私は郊外の公立小学校に勤めています。教師になるのをもともと夢みていたわけではありませんが、進路を決めかねていた頃、同じく教師だった両親の希望で教育学部に進んでしまったのです。将来の夢というものが、まったくなかったわけではありません。ただ、両親に教職を強く勧められたとき、それが運命だったのだと思わずにいられなかったからでした。けれど、いまでは少し後悔をしています。
 つぎの子供が席を立ち、緊張した様子で作文を読み始めました。普段よりいくぶん高く強張った声が、教室内に響きます。私の受け持ちは四年三組、今日の二限目は作文の発表会。テーマは『将来の夢』。
 子供たちが夢を語るたび、心のなかに灰色の雲が涌いてくる気がします。払おうにも心に風は吹きません。そればかりか子供たちの熱心な声は、まるで栓をするかのように、風の通り道を――悪意の逃げ道を、塞いでいくのです。
 心いっぱいに雲がたれこめてしまうと、ついにこんな意地悪な雨がぱらぱらと降ってしまうのでした。
 無理ね、田中くん。あなた、このまえの分数のテスト、零点だったじゃない。分数のできない子は中学に上がったら、確実に落ちこぼれてしまうものよ。数学ができなきゃ、物理も化学もできやしない。あきらめなさい。
 夢など持たないほうがいい。いつの頃からか、そう思うようになりました。これが、教育者の言葉でしょうか。私は、どうやら子供が嫌いなようでした。
 ピアニストになりたいという子供に、適当にあたたかい言葉をかけて席へ着かせると、いっそう重たい気持ちになりました。つぎに作文を読むのが、梶山桂太だったからです。
 梶山桂太は、いわゆるいじめられっ子でした。春に転入してきたばかりの彼は、とても風変わりな子供です。いえ、私は彼を子供とは呼びたくありません。何故なら、ちっとも子供らしいところがないからです。ほかの子たちと違い、必要以上にはしゃいでみせたり、大人たちに媚びてみたり、何でもできそうな口をきいたりは、決してしないのです。
 誰もが親友を求め始める思春期の入り口のはずなのに、彼だけは逆にすべての人を排除しようとしているふうでした。発達障害。そう言ってしまえば、それまでかもしれません。けれど、それだけではないなにかが彼のなかにある、私にはそんな気がしてなりません。
 事実、梶山桂太をいじめているのは程度の低い一部の子供たちだけで、ほかの子たちは彼を恐れているかに見えました。彼の冷ややかな視線から身をかわすように、彼を避け続けていました。その冷めた瞳はどんな意地悪をされても、決して涙で曇ったり、怒りや悔しさで熱くなったりはしないのです。そういう彼の様子が、ますます子供たちを怖がらせ遠ざけてしまうのでした。
 梶山桂太は目線を机の上へ落としたまま、のろのろと椅子から立ち上がります。左手を机につきながら、ほぼ棒読みで作文を読み上げました。
「僕は将来、風になりたいです。将来じゃなくても、いますぐでもいいです。そして、誰にも見えなくなって、好きなところに行きたいです」
 それだけの作文を独り言のように読んでしまうと、彼はさっさと席へ着いてしまいました。そして、授業中つねにそうであるように、自分だけの世界へ帰ってしまいました。ほかの子供たちみたいに、私の言葉をひたむきに待ち受けたりはしないのです。
 呆気に取られるほど短い作文と、彼のすげない態度は、まさに一瞬の風となって教室内を静まり返らせました。それも束の間、やがてクスクスと笑い声が漏れ始めます。なかには、となりの席の子と彼の悪口をこそこそ言い合うものもいました。
 私は泣きたくなりました。『風になりたい』という空想的すぎる夢に対して、いったいどんな言葉をかけてあげたらいいのでしょうか。もちろん、梶山桂太は私の言葉など少しも待ってはいません。けれど、ほかの子供たちの手前、無視してしまうわけにはいかないのです。教師を困らせる彼を、たとえ私が憎んでいても、それを顔に出してしまうことは絶対に許されないことなのです。なによりそれは、子供たちが一番喜ぶであろうことなのです。
 泣きたい気持ちを懸命に抑えて、できる限りの笑みをつくりました。
「とても個性的な夢ですね。梶山くんは音楽や芸術に向いているのかもしれませんよ。大きな想像力をこれからどんどん活かしていきましょう」
 苦し紛れの言葉を、彼は完全に無視しています。が、そんなことはどうでもいいのです。それは彼のためではなく、ほかの子供たちのための言葉なのですから。梶山桂太の色素の薄い頭髪とつむじを見ながら、安堵と疲労が全身を満たしていくのを感じました。
 つぎの子供が立ち上がろうとしたとき、ちょうど二限目終了のチャイムが鳴りました。三・四限目は担当外である図工の授業です。ほんのいっときでも教室から解放される、私は救い出された気分になりました。
「はい、今日の作文の発表はここまでです。残りはつぎの国語の時間にやりますから、今日作文を忘れた人は、つぎまでに必ず書いてくるように」
 礼をすますと、ざわめく教室から脇目も振らず逃げるのです。
 ところが、とある子供の発言が、教室から三歩出た私の足を止めました。日頃から梶山桂太をいじめている男の子の声でした。
「梶山、ばっかじゃねえの。風になんかなれるわけねえじゃん。もしかしてこいつの頭のなか、幼稚園で止まってるんじゃねえの」
 幾人かの子供が、それを聞いて楽しそうに――嬉しそうに――笑い出しました。
 再度、私は泣きたい気持ちになりました。
 いじめの芽はつまなくてはならない、頭にはこんな教師らしい言葉がきちんと浮かぶのですが、いったい私になにができるというのでしょうか。すでに子供たちは梶山桂太をいじめることを学校生活の楽しみのひとつとしているのですし、彼も抗うことなくいじめを受け入れているのです。
 私はなにも知らない振りをして、その場から走り去りました。



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